委員会での発言
憲法調査会
第161回国会 衆議院 憲法調査会 第2号 2004年10月21日
午前九時一分開議
○柴山委員
 発言の機会を与えていただきましたことをお礼申し上げたいと思います。
 ただいま中山会長の方から詳しく御説明がありましたとおり、オンブズマン制度、日本においても自治体レベルではかなり発展してきた、そういうような状況にあります。このような中で、私は、前回のこの調査会で、オンブズマン制度を憲法上位置づけるということに関してはやはり慎重な議論が必要ではないかという立場から意見を申し上げました。もちろん、各会派を代表してというお話ではありますが、私の発言については私の個人の信条に基づくものであるということを冒頭にお断りをさせていただきたいというように思います。ただ、その上で、私は、立法措置の上であれば、このオンブズマン制度を国のレベルでも導入するということは検討に値するのではないかなというように思っております。
 以下、前回に申し上げたところを敷衍して若干説明を補足したいと思います。
 まず、このオンブズマン制度を導入することの必要性の検討を行い、その後、これを仮に導入した場合、それに問題点というものがないかということについて見解を申し上げたいと思います。
 まず、ただいま中山会長から御指摘のあったとおり、オンブズマン制度を導入しているEU諸国、特に今回視察に行かれたスウェーデンあるいはフィンランドといった国と日本との差異について着目をしなくてはいけません。
 平成十六年度の予算案ベースによりますと、日本の国民所得に対する租税負担率は二一・一%、社会保障負担率は一四・四%、合計で三五・五%となっております。もちろん、これに財政赤字を含めた潜在的な国民負担率というものが一〇%程度あるわけでありますけれども、日本ではそういった負担率となっていることです。
 一方、これはOECDのレベニュー・スタティスティックスによるものでありまして、若干古いデータなんですが、二〇〇一年度のスウェーデンの租税負担率は五二・〇%、社会保障負担率は二二・三%、合計で七四・三%となっております。フィンランドの租税負担率も四七・四%と、スウェーデンの五二・〇%とほぼ同程度の水準となっております。
 近年、日本が行政国家と言われますが、これら北欧の国家はまさしく超高福祉・高負担の国でございまして、そういった行政サービスの適正化、これは日本にも増して極めて重要な課題なのであるということを冒頭に申し上げたいと思っております。
 さて、私は、行政国家化している日本において、それをどうやって統制する機能が現行制度において認められているのかということをまず、若干、中山会長の御説明と重複する部分はありますが、申し上げたいと思います。
 もちろん、日本は議院内閣制をとり、また衆議院による内閣不信任制度もある以上、国会を通じてコントロールが及ぶということが建前となっております。また当然、行政は議会の定めた法律あるいは予算に従って執行されるという意味におきましても、議会が一義的な行政に対するチェック機能を期待されていることは言うまでもありません。また、各院に認められた国政調査権も行政統制に資するわけであります。
 なお、これに関連して、正確には行政行為についてではなく法案の提出についてでありますけれども、前回の議論で、国会の審議で内閣法制局が説明をするのはおかしいのではないかというお話を何人かの先生がされていたと思うんですけれども、私は、これは少し正確ではないんじゃないかなというように思います。
 というのは、内閣が提出する法案については当然、まず提出の段階で、内閣自身が既存の法律や憲法との適合性というものを判断しなくてはいけないわけですから、その提出に当たっての判断ということについて内閣法制局の見解をただすということは、私は特段おかしくはないのではないかと思っております。もちろん、ただ、法案審議に際して、その法制局の見解をうのみにするということは確かに問題があるというように思っております。
 いずれにせよ、政府組織がこのように大規模化、専門化しているという中で、また議院内閣制が政府・与党の協調型であるという限界もあることから、こうした議会によるチェック機能が十分機能していないのではないかという疑問は当然のことながら出てくるということでございます。ただ、国政調査を補完する制度である予備的調査制度、これも特に野党の皆様が積極的に活用されているところでもございますし、世論を喚起する機能というものは一定程度を期待できるのではないかなというように思っております。
 さて、こうした国会のチェックというものを補完する立場としての裁判所、この権限行使が非常に重要になってまいります。もちろん各種の不服審査制度、これは自己チェックをするわけですけれども、自己チェックであることの限界ということがやはりありまして、独立した裁判所による判断が極めて重要である、行政訴訟制度が重要であるということは論をまたないわけでございます。
 ただ、これについては、先生方御案内のとおり、門前払い、従来の行政訴訟は原告適格が非常に厳しかった、また行政裁量というものを余りにも広く認めていた、憲法判断を行うに当たって司法消極主義と伝統的に言われていた、そういう嫌いがあったわけでございまして、こういう裁判所のスタンスあるいは行政事件訴訟法の限界というものが従前から声高に叫ばれていたわけであります。
 ただ、この点につきましても、御案内のとおり、私も所属しておりますが、法務委員会において行政事件訴訟法の一部が改正され、取り消し訴訟の原告適格が大幅に拡大された。法律の目的、趣旨あるいは処分において考慮されるべき利益の内容、性質など、こういうものを考慮して原告適格を広く認めていく。あるいは、これまで認められていなかった行政の義務づけ訴訟あるいは差しとめ訴訟というものが法定されるようになっておりますし、また審議の充実のための釈明処分、裁判所が行政庁に対して裁決の記録や処分の理由を明らかにする資料を求めることも新設されたわけであります。
 さらに、仮の義務づけ、仮の差しとめという制度も新設をされ、私は、行政訴訟というものは、大幅にユーザー、国民の利益を図るものに生まれ変わっているのではないかなというように思っております。
 これまで行政訴訟は、新受件数が、例えば平成十二年におきましては二千件、そして勝訴率は二割弱という極めてゆゆしい制度であったわけですけれども、こうした法改革によって一定の成果が出てくるのではないかと私は思っておりますし、平成七年から平成十二年にかけて勝訴率が一一%から一七%に伸びた、これもやはりこれからの司法改革に伴って改善がなされていくのではないかなというように思っております。
 もちろん私は、今後、この行政訴訟法制度というものをやはりしっかりと見直していかなければいけないと思っております。ただ、恐らく先生方、御懸念されているところだと思いますけれども、やはり訴訟というのは金がかかる、手間がかかる、なかなか気軽に行政についての不満、不服というものを申し立てる機会というものがないんじゃないかというところであります。
 これについて私は、行政型のADR、今ADR法につきましても法務委員会の方で検討しているわけですけれども、この行政型のADRというものを法制度として積極的に位置づけていくということが考えられるのではないかなというように思っております。
 次に、問題点についての指摘であります。
 憲法上オンブズマン制度を位置づけるということについては、やはり私は若干問題があるのではないかなと思うのは、欧州型のように、予算権、予算措置を伴って、あるいは調査権をこのオンブズマン制度に与える、非常に強力な制度として位置づけられているわけでありますけれども、そのような強力な機関を憲法上設けるということになりますと、当然のことながら質の確保ということが重要な問題となってくると思います。これは、量とは反比例する、必然的にそういった限界があるわけでございます。
 あと一分ほどではしょって申します。
 そして、これについて、やはり権限の強さということと反比例しまして独立性ということが懸念されるということは否めないのではないかと私は思っておりますし、また、こうしたオンブズマンが、裁判所という公的な手続と比較しまして、公益性というものについてきちんと配慮できるのかという懸念が否めないと私は思っております。
 また、こうした制度を憲法上位置づけることによりまして、民間のオンブズマンの活動、今、例えば地方で設けられている行政型オンブズマンと違いまして、民間レベルで私的オンブズマンがいろいろ、世論喚起、裁判、勧告等の活動を行っておりますが、こうした民間オンブズマンの活動を軽視する、そういうような役割があるのではないかというように懸念をしているところであります。
 専門的な分野においてオンブズマンをどうやって法律で設けていくのか、その人選はどうか、各論等につきましていろいろと申し上げたいことは多々あるわけでございますが、とりあえず私からの問題提起は以上のような形で終わらせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。

○柴山委員
 先ほど少ししり切れトンボになった点もありますし、また、いろいろな先生方から問題提起もありましたので、若干補足をさせていただきます。
 まず、行政国家について枝野先生から御指摘がございました。
 まず、日本が財政赤字になった理由としましては、必ずしも行政の乱費ということによるものだけではないと私は思っております。やはり非効率的な行政システム、特にスウェーデンは各省の職員数は平均が二百人という効率的な、簡素な政府であるにもかかわらず、あのような、いわゆる行政の質というところにお金をかけているのに対して、日本の行政についてはやはり政府自体が大きかった。
 だから、これを統制するのは、むしろやはり行政改革という政治の分野が重立った役割を果たすべきなのではないか。だから、財政赤字を統制するがゆえに行政の適正がヨーロッパよりも高く認められるのではないかという御指摘は、私は必ずしも当たらないのではないかと思っておりますし、先ほど申し上げたとおり、日本は所得税等かなり低い水準にとどまっておりますから、やはり消費税を含めた税制の改革というものを行っていくのが本道であって、行政オンブズマンとこの財政赤字の問題というものが必ずしも連動するものではないというように私は思っております。それがまず第一点。
 それから、私が先ほど指摘をさせていただいた憲法上の位置づけに伴う問題点というものについての正面からの御反論というものが余りないように思いますが、私は、法律上のシステムとしてオンブズマンを設けたことによって、それが不十分ではないかという御懸念は必ずしも当たらないのではないかと思っております。
 というのは、先ほど辻先生から御指摘があった調査権の問題にしても、今情報公開法がかなり整備をされておりますし、また、先ほど申し上げた行政事件訴訟法における釈明制度あるいは文書提出命令などの活用、これはもちろん訴訟上の制度なんですけれども、そういうものも十分整備をされてきているわけであります。
 また、土井先生からも御指摘のあったように、オンブズマン制度というものが、憲法上位置づけたときに、それがいわゆる議会の附属機関として、要するに、議会というのは多数決主義ですから、議会の側の機関になるのか、あるいは個人的な権利を侵害された個々の市民の救済機関というものになるのか、その位置づけが、第四権というようなお話がありましたけれども、私はちょっと今の時点でまだちゅうちょする部分がありまして、そういう意味からも、先ほどの、憲法上位置づけるということの懸念に今申し上げた懸念をつけ加えたいなというように思っている次第であります。
 結論としましては、今、行政相談の仕組みというものをやはり充実させる、あとは個別的な相談、苦情というものをもう少し拾い上げていく、そういう機関をつくっていく、あとは決算行政監視委員会、先ほど船田先生からありましたとおり、決算行政監視委員会に市民の側からもう少しアクセスができるようにする、あるいは決算行政監視委員会の外局あるいは調査委託機関としてしかるべきそういった行政をチェックする機関をつくっていく、そういうような形で現行制度をやはり充実させていく、それを立法に基づいて充実させていくのが現実的なオプションではないかなというように私は思っております。
 以上です。

○柴山委員
 先ほど来、やはり行政へのチェック、特に現行の制度が非常に不十分である、鹿野先生初めさまざまな委員の先生から御指摘をいただいたところでもあります。
 ここで再度申し上げたいのは、やはり、一義的にこれをチェックするべき議会あるいは民主的な制度というものが機能不全を起こしていることは率直に認めつつ、そういったものを例えば訴訟の場でしっかりと補っていくことが私は現実的ではないかなと思っておりますし、また、実効性という点でも、勧告しかできないオンブズマン制度よりも、行政訴訟ということの充実によって図っていく方が私はいいのではないかと思っております。
 もちろん、コストの面からして、必ずしも市民的に十分な救済ができないのではないかという懸念はあろうかと思いますけれども、こういった強制的な契機、モメントを持つ救済制度というものを私は充実していかなければいけないと思っておりますし、繰り返しになりますけれども、先ほど来出ている行政の不作為の場面については、一定の処分がなされないことによって重大な損害を生じるおそれがある、ほかに適当な方法がない、そういった場合の義務づけ訴訟というものが今般新たに新設をされたところでもあります。また、不作為の違法、違憲の確認訴訟、これも認められる。行政関係の権利義務に関する確認訴訟を、当事者訴訟の一類型として明確に明示をされているというような形での改正が行われているところを御理解いただけたらなというふうに思っております。
 また、先ほど山花先生の方から、情報公開制度では不十分ではないかというようなお話がございました。そういう御批判は私も共通の認識を持っているんですけれども、オンブズマン制度を仮にとった場合に、それでは劇的に情報公開のシステムとして有益に機能するかというところは、私は疑問に思っております。
 というのは、例えば軍事の場面あるいは警察の場面、こういった部分についてはやはり公益性とのしっかりとした緻密な利益衡量というものが必要になるわけでありまして、これが憲法上の制度となったからといって、そこの利益衡量というものが不要になるということでは当然ないわけであります。
 ただ私は、革手錠の事件を初めとする行刑システムのあり方ですとか、非常に密室で行われている人権侵害というものに対して、より情報をオープンにしていかなければいけないのではないかという問題意識は常に持っておりまして、そこは、例えば監獄法の改正ですとか、そういった特別権力関係と従来言われているような方々の声を積極的に吸い上げる、これはまさしく市民レベルのオンブズマンとか苦情処理機関というものでも十分行っていけるのではないかなというように思っております。
 いずれにいたしましても、憲法上の機関として位置づけることの懸念を、再度、大きなものを申し上げますと、それによって、そういった今申し上げたような市民オンブズマンが一段下に見られるのではないかというような懸念があるのではないかと私は思っております。私は市民オンブズマンの活動をかなり積極的に評価をしている立場の者でございまして、また、憲法上位置づけることによる質の確保の問題あるいは予算を伴うことによるコントロール、独立性の懸念、それから手続的なあり方、裁判所の手続に比して公益についてきちんと配慮できるのか、そういった部分について、やはり私は十分懸念を払拭できないでいる。少なくとも、まだ欧州に比べてそういった制度が熟していないんじゃないかなというところは、再度申し上げたいと思っております。
 以上です。

○柴山委員
 柴山でございます。
 大きな問題としましては、やはりこの国連憲章と日本の憲法の関係を考えた場合に、この日本の憲法九条、これを変えた方が果たして平和なのか、変えない方が平和なのかというそこの分かれ道が、まだコンセンサスが得られていない部分があるのではないか。
 九条を全くいじらないことが結局のところ平和維持に資するというような議論があって、そして、その根拠としては、もちろん確かに現行の内閣法制局の運用、解釈は非常に融通無碍になされている部分はあるけれども、それでもやはり国権の発動たる戦争を禁止している以上、侵略戦争は禁じられているじゃないか、あるいは陸海空軍といった名前の戦力は保持しないというように入れているではないか、そういったいわゆる歯どめ論、要するに、融通無碍な解釈はされてはいるけれども、歯どめというものはやはりあって、そして、時の政府の解釈もそこを最終的には尊重せざるを得ないという部分から、やはりこの部分についてはそのままにしておいてもいいのではないかという議論が一方ではもちろんあります。
 ただ、やはり先ほど来野田先生、渡海先生を初めとする皆様方の御指摘のとおり、この憲法が定められた当時は、自衛戦争すら、あの第二次世界大戦の後でする、そういうような状況ではなかった。ただ、当然のことながら、この日本国憲法が定められている中で、さまざまな妥協的な修正、芦田修正というお話もありましたけれども、が加えられて、将来に含みを持つ規定が設けられた。
 そういうような世界情勢と、現在の国際テロ頻発あるいはボーダーレス社会における国際貢献ということが問題となってくる世界情勢というのは明らかに異なるわけでして、こうした世界情勢の変化というものを的確に憲法の条項に反映していく、これこそがまさしく平和主義憲法のあり方ではないか。
 冒頭、葉梨委員からも御指摘がありましたとおり、そういった解釈というものにある程度枠をはめるためにも、そういった文言の明確性というものをしっかりとしていかなければいけないのではないかというところをまず冒頭に申し上げたいと思います。
 それから、やるのかやれないのかというような御議論も先ほどありましたけれども、これは、私は前回の調査会でも申し上げたとおり、国際貢献を一たび表明した以上は、しっかりと有形力の行使の部分についても行っていくのが筋ではないかというようには考えておりますけれども、これはあくまでも長期的なスパンで考えるべき問題でありまして、当面におきましては、やはり現行憲法と現実の運用との乖離ということを解消するということが私は喫緊の課題だと思っておりますし、そういった側面から、平和的な実力行使を伴わない、直接的な形でそれにコミットしないという形での、限定つきの括弧書きの集団安全保障、こういったものは、やはり一定の歯どめを設けた上で憲法上書き込んでいくべきではないかなというように思っております。
 集団的自衛権の問題についてはこれとは別個の問題でありますし、私は、集団的自衛権については、これは自然権の一つとしてやはり行使も存在も両方認められてしかるべきだ。あくまでも日本は自重してその行使を認めていないのではないかという立場に立つものであります。
 国連憲章との関係では、やはり常任の安全保障理事国になった場合に、三十九条、四十条、そして四十二条の軍事的措置、これに加わる必然性は、少なくとも法解釈上はないということは私もそのとおりだと思っておりますし、常任理事国に加わることによって、国連において積極的に発言をする、また、この集団的な安全保障においてもしっかりと議論をリードできる立場に日本が立つことができるということで、積極的に考えているということを申し上げたいと思っております。
 以上です。
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