- ○柴山委員
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田中先生から大変個別の問題にまで踏み込んで詳細な分析がなされまして、従来の直接民主制か間接民主制かという抽象的な議論にとどまることなく、個別的な問題の事案ごとに、直接民主制を導入した場合どういう問題点があるかということまで詳細に分析をされた上での御発言だったと思います。
その上で、あえて申し上げますと、まず私は、現在ハイスピード化されている、また高齢化しているということで行政に託される役割というものが非常に大きくなってきているというところから判断すれば、これはむしろ、先ほど委員から御指摘のあった、継続性に欠ける、また十分な政策決定のためのシンクタンク等を持たない有権者が、どれほど有意な提案なり投票というものができるのかということについて、若干危惧を抱かざるを得ません。
ちょっと個別の事案で申しわけないんですが、かつて消費税を導入するときに、国民の大多数はだめなものはだめというお話の中で、厳しい御判断をされたと思います。しかし、今こういった高齢化社会が進展している中で、やはりそうした消費税の必要性というものがかなりの部分国民生活に定着してきた。
そして、やはり税制等の専門的な分野については、国会議員がしっかりとした組織的な検討を加えるということが必要になってくると私は思っております。条約、そして税制等の専門分野について、継続性を欠く、また組織性を欠く国民の意思をどの程度反映させるかというのは、難しい問題ではありますが、必ずしも国民投票という形によってこれを解決するのがふさわしくない部分が、特に委員がおっしゃったハイスピード化している、高齢化しているという中では多々生じているのではないかなというように私は思っております。
枝野委員から御指摘のあった二大政党制のマニフェスト選挙を補完する役割としての国民投票というのは、私は大変示唆に富む御発言であったかと思います。
ただ一つ、公約を掲げて政党が戦って、それを国民が選択したということの重みというのは、やはり私は無視できないのではないかというように思っておりますので、その重みというものは、やはり国民投票という形で左右できるものなのかどうかということを、いま一度問い直さなくてはいけないのではないかなというように思っております。マニフェストというものは、単にきれいごとを並べるだけのものではなくて、一つ一つに政党の運命をかけた、非常に大きな力が注がれているわけですから、これについて、先ほど申し上げた組織性を欠く国民が、少なくとも国政レベルの選挙においてこれに異議を唱えるという機会を与えるのが本当に妥当かどうかということは、もう少し慎重に議論をしなければいけないのではないかなというように思っております。
地方の問題についてはまた別の機会をいただいてお話をさせていただければと思います。
- ○柴山委員
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土井先生が退席されてしまったのでちょっと残念なんですが、先ほど御指摘のあった、憲法改正手続自体を現行憲法手続によらないで行うなんていうことを考えてはいないでしょうねという御発言がありましたが、これは、私はちょっと筋違いの議論ではないかなと。
もちろん、仮に改正手続を行うことになれば現行憲法の改正手続を踏むことは当然の話でございまして、その上で、今の憲法が、事実上、五十年全く手を加えられないで、解釈解釈の拡大でいかようにも運用されてきたというこの実態に懸念を示して、よりしっかりと時代の趨勢に合ったものに形を変えていけるものにすべきではないかということで、改正手続をより柔軟に認められる方向に進めていくべきではないかということが問題意識だと私は思っております。
その上で、土井委員から憲法の最高法規性という御指摘があり、もちろん私もそれについては異論を唱えるつもりは毛頭ございませんけれども、だからこそ、通常の法律手続と違って、きょう議論のある国民投票制というものをあえて導入し、憲法制定権力の制度化された側面としてそれを要件としているわけですから、その点については、例えば憲法の発議要件を、両院の三分の二以上を二分の一以上とすることに何ら憲法的な理論上の制約があるものではないし、また、私はそうすることが望ましいのではないかなというように思っております。
あと、住民投票の件について幾つか申し上げたいと思っていたんですが、国民投票のレベルの問題について、その後、幾つかお話がありましたので、一言だけ付言をさせていただきますけれども、何を国民投票の対象とするにふさわしいかというお話で、脳死のお話がありました。
確かに、生命倫理に対する個人個人の信念というものはこの法案の重要なファクターではありますけれども、もちろんそればかりではないわけで、これについては最先端の臓器移植の問題等についても、無関係とはいいながら、やはりそういったものも視野に入れた考慮が必要なのではないかというような問題もございますし、その意味では、やはり専門的、継続的な検討というものが必要になってくるのではないかと思います。
また、一点、この問題について、先ほど加藤委員からも御指摘がありましたが、やはり報道等によって、ねじ曲げられたような形で世論のあおりというものが生じるという懸念もあると思います。
結論的に言えば、やはり、外交、防衛上の問題のみならずこうした問題についても、必ずしも国民投票を導入するのにはなじまないのではないか、現行憲法が七十九条あるいは九十六条以外に国政レベルでの直接民主制というものをあえて記入していないということに積極的な意味を見出すべきではないかというように私は考えております。
現に、イタリアの憲法におきましては、法律の発案権で、国際条約批准の承認に関する法律については人民投票は認められないというような形で安全保障の問題に書いてありますし、予算、租税についての法律についても、これは日本国憲法上も当たり前のことだと思うんですけれども、人民投票は認められないというように書いております。
ただ、その一方で、スイスでは、集団安全保障機構への加盟についてはそういった義務的レフェレンダムとして位置づけていることもありまして、必ずしも国際的な比較からは、この問題については一義的に結論を出せるものではないと思っております。
しかし、やはり私は、現在の日本における民主制のあり方としては、こうした組織的、継続的な議論を必要とする問題については、直接民主制というものは、たとえ脳死といったような問題であってもなじまないのではないかなというように思っております。
以上です。
- ○柴山委員
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改正の条件については、ちょっと価値観の相違になりますので、もう繰り返しません。住民投票の問題について触れたいと思っております。
先ほど来、皆様から御発言があったとおり、住民投票については、より国政よりも身近に、住民の身近な問題に関して、住民自治を尊重し、あるいは団体の自立ということをしっかりと考えるという観点から、私はこれについては、一定の重要なものについては採用することも合理性があるという立場でございます。
その上で、やはりこの問題について、先ほど来いろいろな形で御指摘のある合併の問題、あるいは、特に今問題となっている迷惑施設の問題、このような問題について、必ずしも妥当な結論というものが得られていないんじゃないかという危惧を多く持っております。やはり、いかに九十五条がプライベートアクトを淵源にした文言を定めているとはいえ、あくまでも、地方のことについて、住民の意思を尊重するのは重要だけれども、一定の制約というものがある。例えば、原子力発電の場合には、国家のエネルギー施策ということを抜きにしては語れないわけですし、基地の問題についても、国家レベルの安全保障というものを抜きにしては考えられないわけでございます。
そうした国家レベルの施策というものを考えるに当たって、もちろん、形式的な特例法というもので特定の自治体だけをねらい撃ちにしているような法律というものは、これはその自治体の承認というものを要件にしなくてはいけないとは思いますけれども、そういう形ではなくて、あくまでも形としては一般的な形をとっているのであれば、先ほど山口委員がおっしゃったように、事実上、例えば沖縄の基地について重大な利害関係のある問題についても、これを住民投票に付したものを唯一絶対のものとして、それに従って行動しなければいけないということは、私は行き過ぎなのではないかと思っておりますし、また、合併の問題についても同様のことが言えるのではないかと思っております。
結論としましては、住民投票については、これは非常に重要なものであると私は考えますけれども、これを遵守しなくては違法となるとは必ずしも言えない部分が数多くあると思っておりますし、また、九十五条の解釈におきましても、この視点をしっかりと持つべきではないかなというように思っております。
以上です。
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