- ○柴山委員
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本日議題となっております天皇制についてですけれども、私は、今、国民と皇室の関係というものは大変親密な関係である、そして、皇室を、権威の対象としてよりは、むしろ親しみの対象として考える関係になっているということを大変喜ばしく思っております。
そして、先ほど早川委員からお話があったとおり、オープンに皇室の問題について議論をするということはとてもよいことだと思っておりますし、あわせて、ともすると権威の陰に隠れてなかなか改革の対象になっていない宮内庁のあり方というものについても、真剣に議論を進めていくことが必要ではないかと思っております。
以下、各論点について申し上げます。
まず、元首論についてでございます。
私は、天皇を象徴と規定している、正確には象徴にすぎないと規定している現在と、あるいは元首としての性格を併有すると明定する場合に、現実の運用面としてどの程度の違いが出てくるのかということについては、若干疑問を持っております。先ほど葉梨委員からお話のあったとおり、対外的、また歴史的、また現行憲法の条文立てに照らして、天皇を元首と定めることに格段の障害があるとは思えません。
ただ、元首とすることによりまして、イメージ的に、天皇の政治に対する関与を否定しているというところに抵触するのではないかというあらぬ混乱、そうしたイメージの問題というものが出てくるのではないかなというように思っておりますので、この点については慎重に考えていくべきではないかなというように思っております。
さて次に、皇位継承の問題について大変最近議論になっております。
私は、女帝を認めることには賛成でございます。しかし、先ほど来、これを全くの長子の承継ということに改めてよいのかということについては、若干議論の必要があるのではないかなというように思っております。
よく男女平等論がその背景として言われるわけですけれども、先ほど大出委員から御指摘があったとおり、現行の天皇制自体、世襲制を導入し、また長子を優先としているという、現行憲法の平等原則上看過できない例外的な存在であることは言うまでもありません。葉梨委員からもありましたとおり、皇室の存在自体、憲法二十条からはなかなか説明の難しいような部分もありまして、私は、現行の天皇制というものは、むしろ憲法原理とは異なって、日本の伝統あるいは文化を体現したそういう存在であるものだというように考えております。
そのような観点からは、やはり皇位の継承ということを考えるに当たっては、一足飛びの改革というものはもう少し議論が必要ではないか。また、先ほど大出議員の方からあったように、女性の宮家を創設した場合の財政の影響、これを最小限にするためにさまざまな複雑な議論が必要になってくる。また、女帝の配偶者の問題もあります。長女を皇太子とする場合、摂政を、女帝の配偶者である御主人とするのか、あるいは女帝の皇太子である長女とするのか。長子承継とした場合には、こういった難しい問題が生じてくることもしっかりと考えていかなければならないと思っております。
また、先ほど御指摘のありました、養子を認めるべきではないかというところについてもきちんと議論を進めていかなければなりません。
いずれにしましても、男系の女子に例外的に認めるのか、あるいは長系相続とするのかということは世論の動向をしっかりと見きわめて考えていくべき問題であり、そういう意味からすれば、この問題は、憲法事項というよりは、やはり皇室典範の改正によって対応するのが望ましい事柄ではないかなというように思っております。
最後に、時間がなくなりましたが、天皇の国事行為について若干触れさせていただきます。
私は、国事行為は現行憲法のものよりもふやす必要はないと思っておりますが、必ずしも私的行為と違うものがある。先ほど、植樹祭ですとか被災地の見舞いですとか、あるいは国会の開会式のおことば等がありましたが、このようなものについて、やはり私は、公的行為として、しっかりと内閣の助言と承認を得た上で認めていくべきではないかと思っております。ただ、これを儀礼的行為として正面から憲法上認めていくということについては、さらに検討が必要かと思います。
以上です。
- ○柴山委員
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ただいま山口委員から御指摘がありました、規範と現実が一致しない場合には、むしろ現実を規範の方に合わせるべきではないか。一般論としてはそのとおりだと思います。しかし、私は何も理想がいけないと言っているわけではありません。規範と現実が乖離したときに、その現実に対してどのように対処すべきか、そうした枠組み、制度論として、今の九条では対応し切れなくなっているのではないか。余りにも解釈があいまいでこれに対応できていない。そこを我々の同僚の委員たちは指摘をしているのではないかと思っているのであって、決して理想を捨てるということを申し上げているのではないということを御理解賜れればと思っております。
さて、自衛権の問題についていろいろ議論がございました。私は、自衛隊について、これが隊であるから、軍ではないから合憲であるといったような言い方は、これは国民を欺くものではないかというように思っております。その意味で、やはり私は自衛のための武力組織というものはしっかりと憲法上位置づけていくべきであると考えております。
先ほど自衛権について、枝野委員から、その行使の要件等について明記すべきではないかという問題提起がございました。私も半ば賛成でございます。半ばと申しますのは、従来、やはり自衛という概念については、例えば刑法上の正当防衛にもありますとおり、急迫不正な侵害に対してやむを得ない範囲での反撃しか認められないという解釈が私は解釈上も可能ではないかというように考えております。仮に、集団的自衛権の概念を採用することによってこの伝統的な自衛権の概念を拡大するのであれば、私はやはりここの部分は明文上きちんと書いていくべきではないかなと思っております。ここの部分については、やはり米国とどこまで行動をともにするかという部分にもかかわってきますので、しっかりと考えていかなければいけない問題だと思っております。
さて、国際協力の範囲についてでございます。
私は、自衛権の問題と異なり、この国際協力の範疇につきましては、いわば我が国の主権がある程度制限されるというような話でございますから、項を改めて定めるべき問題ではないかなというように考えております。そして、やはり国民的なコンセンサスを得られるということで、まず第一弾の改正を考えるとすれば、やはり国連決議に基づき、非武力的な、いわゆる人道復興活動等の非武力範囲での活動というものに範囲を限定するということが現実的ではないかなというように思っております。
ここで反論として、非武力的な活動とは何か、究極的には武力と一体化するのではないかという反論がありますけれども、例えば、犯罪においても、実行行為とこれに対するいわゆる幇助の行為、これも、幇助についても有形的な幇助行為とあるいは無形的、つまり技術的あるいは資金的な幇助行為ということが概念を区別できるわけでありまして、そういうような工夫をやはり私はしていくべきではないかなと考えております。
また、NGO等の活動に期待をすべきだという反論もございますが、NGO等をこうした人道復興活動に派遣したときの危険性というのは、まさに今回のイラクにおける人質事件等が如実に物語っていると私は考えております。
また、自衛隊と別組織の実力部隊を派遣すべきだという意見もございますが、思考としては確かに筋が通っているのかもしれませんが、現実的にどれほど経済的に合理的かということは問われ直さなくてはいけないと思っております。
なお、この国際貢献に関連しまして、日本の安全保障理事会の常任理事国入りが検討されております。しかし、まず、常任理事国入り云々の前に、非常任理事国であれ、この安保理入りすること自体が実は法的に検討されなくてはいけない問題をはらんでおりまして、国連憲章でいえば四十二条の問題でございます。また、もちろん常任理事国に入った場合には四十七条のハードルもクリアしなければいけません。この点について、きちんと議論をしなければいけないというように思っております。
最後に、国家緊急権の問題について申し上げます。
この点について、憲法に明記すべきであるという意見はありますけれども、国民保護法あるいは激甚災害法等の下位法規である程度対応ができるのではないかという見解にも私はうなずけるものがあると思っております。また統治機構、例えば、総理大臣を含め大臣が全員死亡してしまった場合にどのような事態が生じるのか、そういったような問題もございますが、これについてもやはり下位法規で定めてもよいことではないかと思っております。
今後の議論にまちたいと思います。以上です。
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