委員会での発言
憲法調査会
第162回国会 衆議院 憲法調査会 第3号 2005年02月17日
午前九時開議
○柴山委員
 自由民主党の柴山昌彦でございます。
 先ほど来御指摘がある健全財政主義についてのプログラム規定化ですけれども、私も、現在の深刻な財政状況を見るにつけ、こうした規定の創設が必要だと思っております。
 先ほど、土井委員から御指摘がございました、予算の審議をもう少しきちんと実質化すべきではないか、私も同様に感じておりますけれども、そのためには、やはり国会の審議の中身の充実というものをしっかり図っていかなければいけないと思っておりますし、また、そのためには、決算についての情報をしっかりと国会でそしゃくすることが必要なのではないか。会計検査院の機能の強化、それと、新しく設けられました決算行政監視委員会、それとの連携を図っていく、あるいはこうした国会の決算行政監視委員会の調査の外部委託等についても、しっかりと行っていくことによって、予算というものを、きちんと中身のある審議を確保していくということが必要ではないかと考えております。
 先ほど来、単年度主義についての御発言がございました。私は、この単年度主義は、もちろん規律という点から望ましいものであるとは考えますが、ともすると、前年の前例の踏襲、また、船田幹事から御指摘のあったように、年度末の無理な予算の執行などの弊害があることも事実ですので、しっかりと、五カ年計画など計画を持った形での積み上げ方式による、真に必要な予算の検討ということも私は部分的に進めていかなければいけないのではないかなというように思っております。
 八十九条の問題については、いろいろ価値観の対立もあったところではあると思います。私の意見を申し上げると、やはりここは、支配の意味というものを緩やかに考えていくべきではないかなという考えに立っております。もちろん、公益あるいは教育の中立性ということを厳格に考えるという解釈も成立し得るわけですけれども、葉梨委員からお話があったとおり、やはり、国として必ずしも容認できないような内容の団体あるいは教育というものについては、緩やかな事業の報告等を徴求するというような形で、その公費については、一定程度の支出をしてこれを助成するというような形で運用をしていくというのが私は一番望ましいのではないかなというように思っております。
 公費の乱用の防止のためにこの八十九条というものは設けられたものと解するべきでありまして、そういった趣旨がしっかりとわかるようにするために八十九条の規定を改正するべきだというように私は考えております。
 地方自治の分野についてでありますけれども、先ほど来、分権についてのさまざまな御発言がありました。私は、現在の日本の実情というものを考えると、連邦制に移行するということはいささか難しいのではないかなというように思っております。地方は、やはり自治体が自治の固有権を有するというよりは、国の主権から伝来をする、ただし、その地方自治の本旨となる部分、いわゆる住民自治、団体自治となるような部分については侵せないというような制度的保障説に立つのが私は最も穏当ではないかなというように考えております。
 そのような観点から考えるときに、道州制というものは、私は採用することもしないことも現行憲法上は可能であると考えておりますが、現行の自治体の統廃合を行うには、しっかりともちろん憲法上明記した方が明確化するのではないかな。二層性というものを維持して、そして行財政改革というものを行っていく、そして、地方のより一層の権限というものを確保するという観点から、もし道州制を採用する場合には、やはり憲法上明記する方が望ましいのであるというようには考えております。そして、地方自治の本旨についても、憲法上、先ほど言った団体自治、住民自治のほか、そういった形での補完性の原則などについても書き込む余地があるのではないかなというように思っております。
 法律の範囲内でしかさまざまな規制あるいは課税等について認められないのはやはり問題であるというようなお話がありました。私は、徳島公安条例判決に見られるように、法律の範囲内ということを一定程度緩和して解釈するということが可能である以上、現在のシステム自体をいじる必要はないのではないかなというように考えております。
 地方交付税を水平的な交付制度に改めるということについては私も検討の余地があると考えておりますが、これは、憲法ではなくて法律のレベルで考えるべき問題だと思っております。
 以上です。

○柴山委員
 柴山でございます。二回目の発言となっておりますが、失礼いたします。
 先ほどの補足で少し申し上げたいことがございます。
 まず一点は、コミュニティーの重視ということでございます。
 先ほど来お話をさせていただいたとおり、補完性の原則、そして身近なコミュニティーの尊重ということが私は極めて重要になってくるというように思っております。そして、コミュニティーあるいはその地域の習俗というもののやはり尊重ということなくしては、例えば、先ほど早川委員から御指摘がありました、八十九条前段の宗教的な行事に対して公金を支出すること、これについても、例えば目的効果基準を明確にした形で憲法上落としていったとしても、現在の判例のように、全く同じ基準を用いながら合憲と違憲が分かれてしまうというような事態を回避するのに役立つのではないかというように私は考えております。
 もう一点は、道州制に絡みまして、その道州の長となる新しい、知事と言うのかどうかわかりませんけれども、その首長についてはやはりかなりの権限を持つということが想定をされます。もちろんこれは、団体自治の観点からは想定をされるわけですけれども、例えば事業の硬直化あるいは健全性という観点から、その多選制を制限することの必要性が、現在の首長の議論よりもやはり深刻に議論の対象となってくるのではないかなというように考えております。
 現在の憲法上の恐らく議論としては、職業選択の自由ですとか、あるいは選挙権、被選挙権の絡みの問題ですとか、いろいろと難しい問題で、この制限を設けるということについては、恐らく学者等は消極説が多数だと思っております。
 これについて私は、きちんと議論を深め、どちらかといえば、余りにも多数回の選出をするということについては弊害が大きいので、これを憲法上定めるかどうかはともかく、制限していく方向というものも考えていかなければいけないのではないかなというように考えております。
 以上です。

○柴山委員
 憲法改正の要件について申し上げたいと思います。
 先ほど来、改正の要件を緩和すること、これについて慎重な方の御意見が相次いでおります。私は、憲法改正手続において本質的な手続とは何か、それは国民投票だと考えています。制度化された憲法制定権力である国民投票、その国民の意思こそがやはり憲法改正の肝であると私は考えております。国会で余りにも厳しい改正手続を設けることは、この憲法制定権力に対してアクセスする機会を不当に狭める可能性がないか、それを私は恐れるものであります。
 先ほど来、枝野幹事が、憲法改正が実現してこなかったのは憲法改正要件とは関係のない事柄であるという御主張をされました。それは一面事実であると思います。しかし、仮に憲法改正手続がとられたとした場合に、ほんの三十年前、自衛隊の存在自体が非常に国民の間でどうかなというような意識があったころと、現在の、自衛隊をある程度、平和的な国際活動あるいは人道復興活動、国内の災害支援活動に積極的に活用することに国民の理解が得られている、そういう状況では、やはり国民投票の結果に有意な差が出てくると私は考えております。
 政権の交代ごとに国民投票が行われる、そういう可能性もあるのではないかという御主張があります。確かにそういう危険性もなくはありません。しかし、国民投票の結果がそれほど頻繁に大きくふらつく、フラクチュエートするということは私は考えられないと思います。
 そういう観点からすれば、私は、可能な限り、憲法制定権力である国民の意思にアクセスする機会を多く設ける。特に安全保障の問題については、今、平和的な国際貢献は是であるというようなことが恐らく国民のコンセンサスであると思いますが、将来においては、国連の決定によれば武力活動にも参加をするということが大勢になるかもしれない、あるいは、国民に国防の義務というものをきちんと課することが必要であるという意見が大勢になるかもしれません。そういった改正をいわば時代の要請に従って国民の意思を問うていくということは、もちろん国民に対してしっかりとした啓蒙普及活動をすることが前提ではありますけれども、私は必要なのではないかと思っております。
 ただ、三分の二という要件、これも、例えば単純小選挙区制を導入した場合にはその合理性というものも考えられるかもしれない、そのように考えております。
 司法の問題について。憲法裁判所について申し上げたいと思います。
 私は、憲法裁判所の創設については、結論から申し上げると若干消極的であります。現在の司法制度というものが非常に後ろ向きである、官僚主義的であるということは私も残念ながら認めざるを得ません。しかし、現在の付随的審査制度が、人権保障と民主主義、これと非常に調和した苦肉のシステムであるということも私は評価したいと考えています。場合によっては、事案が違えば区別の論理を用いて妥当な解決策を導くことができることも、これはまた事実であります。
 もちろん、こうしたこと、司法の積極主義化というものも、私は、例えば、精神的自由あるいは経済的自由でも消極目的規制、あるいは人格の中核をなすような権利については行っていかなければいけないというように考えております。統治行為の部分についてもしっかりと、統治行為の自律性ですとか、あるいは行政、立法などの裁量論ということで、理屈をつけた上で、もし憲法判断を回避するのであれば政治部門にゆだねるというような形をとることは当然必要であると思っておりますが、憲法裁判所ということは必ずしも私は必要でない、むしろ、先ほど来ちょっと御指摘あったように、国会の中に憲法の常設委員会というものをつくっていくことによって解決するべきではないかと思っております。
 ただ、私は、傍論において憲法判断をするということには極めて不快感を持っております。私は、憲法の争点限りにおいて上告をするということを認めるべきではないか。いわば、結論としては不服はないけれども、憲法判断において不服である場合には最高裁判所に上告をすることは可能であるというシステムをとることができる。そして、それによっても付随的審査制の本質とは必ずしも矛盾しないというように私は考えております。そして、最高裁判所において、私は憲法部というものを設けるべきであると思っております。
 特別裁判所について一言だけ申し上げたいと思います。
 先ほど、労働裁判所や行政裁判所、あるいは軍事裁判所ということを考慮すべきではないかという御指摘がありました。私も、これはそのとおり、そういった要請もあると思っています。ただし、特別裁判所というのは通常裁判所の組織系列に属しない裁判所のことを言っているのであって……

○柴山委員
 二度目の発言で失礼をいたします。
 先ほど、今、辻委員がもういらっしゃらないのですが、辻委員あるいは土井委員から、憲法判断の問題点をいかに解決すべきかという大変建設的な御提案がされました。先ほどの私の発言にはそれがなかったので山花委員からおしかりを受けましたが、私も、やはり現実的な、今の制度の中で改革を行っていくためには、先ほどのお二人がおっしゃったような、司法の官僚的な体質というものを国会の側からどのように変えていくかということを真剣に考えていかなければいけないと思っております。
 一つは、やはり先ほど来御指摘のあった法曹養成のあり方、そして弁護士と判事との間の交流、そのようなあり方をしっかりと検討していくこと、また国民審査のあり方について、さまざまな御指摘があったとおり、今の国民審査は余りにも形式的に堕しているということですから、私は、例えば、参議院に本当に最高裁判事となるにふさわしい方かどうかというものをきちんと審議するような、そういう機関を設けてもよいのではないかなというように考えております。
 憲法と現実とのほころびの最たる例ということで、裁判官の報酬を減額できないという七十九条六項あるいは八十条二項の例がよく挙げられます。こうした規定を早急に解決するためにも、私は、先ほど申し上げましたけれども、憲法の改正を早急に行っていただきたいと思います。
 以上です。

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