- ○柴山委員
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先ほど辻元委員がおっしゃった改正手続の啓蒙ということは、私も非常に重要だと思っております。これをすることによって、国民がより自分たちの問題として憲法問題を考えることができるということで、全面的に賛成です。
また、先ほど中山会長からお話があった、在外邦人の国民投票のあり方について問題提起がありましたが、私はこの問題も非常に重要であると思っておりますし、在外邦人、なかなかこうした情報に接する機会が少ないということもありますので、国の負担でやはりさまざまな基礎資料を発送する等の工夫をしていくことがぜひとも必要になってくるのではないかというように考えております。
午前中の意見の中で、国民投票運動の自由に関して、公共空間という吉岡参考人からのお話がありました。確かに、こうしたパブリックフォーラムというものは、思想の自由市場が確保されている間はそうした議論も可能だとは思うんですけれども、たびたびお話をさせていただいているとおり、メディアの寡占、あるいは先ほど問題提起があった政府の言論ということが国民の投票行動に決定的な影響を与えかねないということで、一定程度の規制が必要なのではないかという問題意識は私は必要なのではないかと思っております。
その際、政府のこうした活動のみを規制するのか、あるいは、きょう今井参考人がお配りになった資料にあるように、放送媒体については規制をする、ただ、新聞、インターネットについては規制をしないという方法でいくのか、あるいは、前回私、また先ほど船田委員から御指摘があったように、虚偽の報道、明らかに虚偽であるものを現実の悪意を持って発表した場合に規制をするというあり方をとるのか。それはまた今後の議論の中できちんと詰めていったらいいのではないかなというように思っております。
続きまして、国民投票無効訴訟の制度について申し上げたいと思います。
これを明定することはよいとしても、その却下ないし棄却の確定をもってこの憲法改正の効力を発生させるべきではないかという立場には私は反対であります。前回、枝野理事から、暫定的判断である仮処分の活用を考えればよいのではないかという御発言がありましたけれども、仮処分の場合は被保全権利と保全の必要性ということが要件となってくるわけでして、こうした客観訴訟、つまり自分の権利の侵害を問題としない訴訟について仮処分という制度を使うことはいかがなものかなという気がしております。
また、行政事件訴訟法の四十四条には公権力の行使、憲法改正が公権力行使と言えるかどうかはかなり微妙な部分がありますけれども、仮処分の手続を排除しております。また、公選法にも当然ないということもありますので、考えられるとすれば執行停止、行政事件訴訟法の二十五条なのかなという気がしております。
しかし、これについても、先週平岡委員の方から発言がありましたとおり、この無効事由というところが非常に私は場面が少ないのではないか。また、長期にわたる不安定さというものも、本訴の提起期間を例えば一カ月というような形で限定すれば、そうした不安も生じないのではないか。何よりも、多数の国会議員、国民が示した民意をやはり私は尊重するべきではないかという観点から、執行停止の導入ということにも反対であります。現に、アメリカでは、憲法改正に係る行為はポリティカルイシューとして司法判断を回避するべきである事例の一つとされていることが参考になると思われます。
次に、先ほど御指摘のあった前文の改正について、どのような単位で行うべきかという点について一言申し上げたいと思います。
私がたびたび申し上げているとおり、憲法改正の国民投票は、これは個別条項を対象とするべきである、これが原則だと考えております。これは、るる、さまざまな先生方から御発言があったところを根拠としておりますが、また、その国民投票の過程で、国民に修正権がないというところも一つの根拠になるのではないかなと思っております。国会議員の場合は、当然、法案を審議するに当たりまして修正ができるわけですから、その修正する中で個別の条文について考えるということができますが、国民投票の場合はそのような修正権はありません。
ですから、私は、個別審議、個別投票を原則とするべきだと思っておりますが、憲法前文の場合は、これは先ほど発言のあったパラグラフごとというのはちょっといささか形式的に過ぎるのではないか。国民主権等の基本原理、あるいはさまざまな一体として醸し出す風格というものがありますので、やはり前文は、これは一括して投票の対象とするべきではないかなというように考えております。
以上です。
- ○柴山委員
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二度目の発言、お許しをいただきありがとうございます。
先ほど、船田委員、そして小川委員、吉田委員が御発言なされたことに関して、直接民主制のあり方について私見を申し上げたいと思います。
私も、スイスでの直接民主制、国民投票のあり方は当然これから参考にしていくべきだとは思いますけれども、やはり日本と同一視して考えられない部分も多々あるのではないかというように思っております。
一つは、先ほど吉田委員が御指摘になられたように、やはり国の規模が違うと思います。例えば、けさの事例で、スイスで行われた性犯罪者の終身刑化ということに関する国民投票が行われたという指摘がありました。例えば日本でこれを実施した場合に、ここの犯罪に終身刑を導入したら、では他の犯罪類型についてどういう刑のバランスをとっていったらよいのであろうかですとか、あと、そうした終身刑を受けた人の処遇をではどうやって図っていけばよいのかとか、当然、派生する問題についてもいろいろと検討をしなくてはいけません。
司法、外交等々、この一億人を超える国民がいる中で、検討すべき事項が多々ある中で、そうした専門的な事項について、仮にその国民投票のための周知、啓蒙期間を長くとったとしても、組織性、継続性に欠ける国民に逐一直接投票でその意思を確認するということは、私は、極めて難しいのではないか、また必ずしも妥当な結論には達しないのではないかと考えております。
結論的に申し上げれば、やはり私は、日本の国政においては、国民投票、少なくとも拘束力を伴う国民投票は基礎的事項に限られるべきであるというように考えております。
一方、地方自治体においては、そういうような配慮は必ずしも必要ない、住民投票をより積極的に活用する場面もあるかと思います。ただし、よく言われることですけれども、国の政策あるいは迷惑施設等に関する住民投票というものは必ずしも妥当ではない部分もあるのではないかと考えております。
市町村合併については、これは大変難しい配慮が必要でして、国との連携あるいは財政のあり方等についてどう考えるか、ケース・バイ・ケースであろうかなというように思っております。
以上です。
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